東北地方太平洋沖地震から約1ヶ月が経って

こんにちは、しばっつです。

まずは、三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震から約1ヶ月が経ち、その時どうしていたのかを忘れないために当日の様子をまとめておきます。

地震の起きた3/11の14:46、僕たちは商談(?)が終わり、森下駅(東京)近くのドトールでコーヒーを飲んでいました。揺れだした時、疲れがひどかったので自分が震えているのかと一瞬思いましたが、全く違いました。店がミシミシと音を立てだしたので、荷物を持って、慌てて店の外へ。

アチコチのビルがグラグラと揺れていて、電柱が斜めになってました。江東区という場所柄、地盤の液状化が起きていたんじゃないかと思います。揺れ続けていた5分の間、地面が波打っているように見えました。ドトールの隣にあった店舗は、地震で建物が歪んだらしく、シャッターが閉まらなくなっていたようでした。

余震があるとマズイので、安全そうな皇居に避難しようということで、森下駅からひたすら皇居に向けて歩いていったわけですが、この時点ではまだ周りの人達も「そのうち電車が動くだろう」ぐらいの感じでした。とはいえ、途中のビルの壁面タイルが砕けて落ちていたりして、普通とは違うのは明らかでした。

皇居に着いた頃には全ての電車がストップしていて、街は帰宅困難者で溢れ返ってました。結果として、下記の地図のルートを通って代々木の事務所まで何とか辿り着くことができました。

これは途中の四谷交差点の様子。帰宅困難者でごった返しています。

通りかかった線路の上。無人な上に電車すら見えません。

さらに首都高。車がいない首都高なんて、この先、一生見ることないでしょうね。

何とかオフィスに徒歩で辿り着いたわけですが、結局、15kmぐらい歩いたような気がします。こんな日に限って、スーツに革靴という格好だったため、靴擦れしまくり、そして寒いとロクなことはなかった。「商談ではスーツ」という習慣が丸ごとなくなってしまえばいいのにと、その時は本気で思ってました(^_^;)

オフィスで待機してたら11時半ぐらいに丸の内線が動き出したので、家までは歩かずに済みましたが、家に帰ったら、案の定、こんなことになってましたorz。

ガンプラは見事に全部倒れてしまって、一部は角が折れてしまっていたり、と残念なことになってました(モチロン、補修しましたが)。それ以外はこれといった被害はなかったですが、それにしても、全ての電車が止まるほどの地震は初めてでした。間接的な被害でこれですから、現地の状況は想像を絶するのでしょう。未だに余震が収まらないですし、正直、気持ちが落ち着かないですね・・・。これから先、自分たちが何ができるのかを考えていかなければいけないなと改めて思いました。

※これを書いてる途中にもデカイ余震がありました。大丈夫なんでしょうか・・・。

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